償いの方法
断酒誓約の中に、「家族はもとより、迷惑をかけた人たちに償いをします」とありますが、これは松村春繁氏が断酒会をつくった時からの決まりで、アルコール中毒からの回復と家族に対する償いが同義語になっていました。つまり、回復の進んでいない状態では償うことができない、ということです。
私の場合、妻に対する償い方は実に簡単に分かりました。私の妻は自己主張をきちんとする性格でしたので、妻の要求に応じることが償いでした。しかし、息子はおとなしい性格で、まじめすぎるほどまじめな親孝行者でしたので、何をすれば償うことになるのか見当もつきませんでした。そこで私が思いついたのは、昭和一桁生まれの地方人らしい単純明快な父性愛の回復でした。
父性愛の押し付け
飲酒時代子供に構ってやらなかったから、これからはぴったり密着して、子供のためなら何でもしてやろう、でした。傷つけた代わりに甘やかす。遊びに連れて行ったことがなかったので、休みの度に連れ出す。小遣いをやったことがなかったので、子供がほしがらないのに無理に押しつける、などなどでした。
延々十数年間、息子にぴったりくっついて息子の機嫌をとりまくっていました。それが息子にとって苦痛であるなどとは夢にも考えていませんでした。しかし息子は、自分にとって苦しく、うとましいことでも、馬鹿な親父が一生けんめい償おうとしているのだから我慢しようとしていたのです。
一番ひどい父性愛の押しつけは、息子が中学でバスケットをやっているころでした。私は高知県の戦後のバスケットの草分け的存在でしたので、息子がバスケットを始めるとすぐ中学に押しかけ、後輩である監督を説き伏せコーチになりました。仕事は早めに切り上げて、毎日のように息子の学校に押しかけてコーチをしました。練習の時だけでなく、試合にまで出てベンチに座りました。息子にとってこれだけいやなことはなかったでしょうが、私はそれが息子のためだと思い込んでいたのです。
大学入試の時もそうでした。「お前の性格ならこの学部が向いているんじゃあないか」という言い方をして誘導する。「この大学がいいんじゃあないか」自分の好みの大学を、妻の口を通して言わせる。それが息子のためだと思っている。つまり、私は息子に対する償いだと称して息子を追いつめ、息子を支配し、息子の人生に割り込んでいたのです。
方向転換
ところが十数年前、ASKの「アルコールシンドローム」がクラウディア・ブラックのインタビュー記事を掲載し、その後、毎号のようにAC(アダルトチルドレン)特集を組むようになりました。愕然としました。特に全国のACたちが寄稿した手記は衝撃的で、私が息子に対してやってきた償い方の間違いをきっちり教えてくれました。私は自分を責めながら一大方向転換をすることにしました。
一言で言うと、密着から切り離しに変えたということです。息子が自らを癒すためには自由にしなければならない。親の呪縛から解放することが一番大切な償いである、とやっと気づいたということです。
親を心配する息子
結婚願望のまるでなかった息子が30歳になる直前、やっと結婚することになりました。しかし息子は、結婚しても私たち夫婦といっしょに住もうか、それとも親とは別に住もうかと悩んでいることが分かりました。私はこの機会を逃がしてはならないと思い、別に住もうと息子に提案しましたが、何か返事がおかしいのです。
結婚式の一ヶ月前に、たまたま、なだ・いなだ先生が高知にやってきましたので、私は先生をホテルに訪ねてメッセージをお願いしたところ、快諾してもらいました。私と息子の関係をある程度先生は知っていましたので、メッセージの内容について注文することはありませんでした。
結婚披露宴が始まる直前、司会者である息子の友人が、なだ先生のメッセージを持って私のところへ来ると、「お父さん、いくら何でもこんな物を披露してもいいんですか」と顔色を変えていました。ちょっと見たところ、私が考えていたことがそのまま書いてありました。
メッセージの中味はと言いますと、「今日の結婚式を契機に親父を放ってしまえ。今日から自分たち夫婦の幸せだけを考えて生きていくのが親孝行だ」でした。息子は結婚後すぐ、嫁と一緒に私の家を出て行きました。なだ先生に背中を押されてやっと決断したということです。
しかも嫁が地元の医大に勤めていたので大学の官舎に住むことになり、私は一人息子を養子に出したような気分になりましたが、それでも本当に嬉しかった。AC概念をあらかじめ妻に説明してありましたので、妻も別居に納得していたものの、手塩にかけて育てた一人息子だけに寂しそうでした。
息子は息子の人生を
私の息子は、アメリカの専門家たちの言う通りの典型的な第一子型ACで、両親の関係を取り持ち、一家の大黒柱的存在である、いわゆるファミリーヒーロータイプでしたので、親から切り離すことが最高の償いでした。
しかし、一方では子供に優しくして、いくら甘えても受け止めてもらえる親であることを見せなければならない償い方もあります。つまり様々な償い方があると思いますが、要は子供が自分の意志で自由に生きられるように仕向けるのが償いだと信じています。
(高知県 小林哲夫 記)