偏見はアルコール依存症の回復を遅らせる

人間は偏見を持つ生き物です。親から教えられたわけでもないのに、よちよち歩きの頃から、自分と肌の色が違う人に、偏見をもつのです。
小学校でぶどうは山梨県、りんごは青森県と習いました。ぶどうの生産高第5位は福岡県で、なんと大阪府は全国で第7位です。

このように、教えられなくても、また教えられることにより、数々の偏見が頭に構成されていきます。「ぶどうは山梨県」だけだ、という偏見ならばあまり罪はありません。県別生産高の表をみれば、なるほどと思い、理解できるからです。

さて、本題のアルコール依存症ですが、この偏見は罪が重たいのです。なぜなら、立派なアルコール依存症本人が、立派なお医者さんから「あなたはアルコール依存症です」といわれても、自分はアルコール依存症でない、と思うからです。なぜでしょうか。ふつう、お医者さんから、あなたは盲腸です、すぐ手術しましょう、と言われれば、そのとおりにするでしょう。しかしアルコール依存症の場合は多くの人は「否認」します。

「アルコール依存症というのは、職もなく、汚い格好をして昼間から公園等で寝ている人」というイメージが大勢の人の中に出来上がっております。悪いことにアルコール依存症本人・またさらに悪いことに家族の人達もそう思っていることが多いのです。そのため、俺は違う、また主人はアルコール依存症ではない、と思ってしまうのです。
どうして、そういうイメージを持ってしまうのでしょうか。たしかにそのイメージはアルコール依存症の一部の人のことです。また、公園で昼間から寝ていれば、よく人の目にも触れるし目立ちます。
さらに、テレビや映画でもアルコール依存症というと、そのような画一的な映像で表現されてきたからです。

一部の事実を、全部の事実と思ってしまうのです。
そのイメージが、アルコール依存症の「早期発見」「早期介入」を「遅い発見」「遅い介入」にしております。遅くなればなるほど、体はボロボロになるし、職は失う・奥さんには逃げられる・子供からもほったらかしにされる、などダメージが大きくなって、本人の回復に向かうパワーは少なくなってしまうのです。

偏見解消は接触方法が鍵

偏見解消の一案として断酒会という集団と例えば市民という集団の接触があります。このことであれば、すでに市民セミナーなどで実施すみですが、問題は接触の方法であります。学問的には種々の実験結果があります。主に人種偏見の解消策です。

次は、偏見解消に効果的な接触方法のまとめです。

◎偏見と一致しない「良い面」が伝わるような接触

例えば、真実・真情・反省・希望がある体験談をつたえる。

◎集団のメンバーとしてではなく、一個人としてみる接触

例えば、断酒会としての一般論ではなく、一個人としての体験談を伝える。

◎酒害者と一般市民との「違い」に着目するのではなく、類似性に着目するような接触

例えば、「親子を考える」「家族関係の再構築」など、アル症の回復過程で生じる諸問題は、アル症を超えても充分、一般家庭でも役に立つノウハウである。

◎計画的・継続的に行われる「良い面」が伝わる接触

例えば、定例的に制度的に行われる接触。学校で行われる授業に組み込まれた接触。

◎接触する同士が、対等の関係を保つことができる接触

例えば、一方的に教える・伝えるのではなく、他方も積極的に質問・感想・意見を伝え、それが教え方・伝え方に反映し、ひいては偏見解消へと進んでいくような接触

接触方法のキーワードは「共通性」

上述の効果的な接触法を一つのキーワードで表現すれば、それは「共通性」ということになります。偏見と一致しない「良い面」が伝わるような接触とは、一般市民と「共通性」があるものです。集団のメンバーとすると、集団(断酒会)に入っていない一般市民には全く共通性がありませんが、一個人としたら、「共通性」が多々あります。

酒害者と一般市民との「違い」に着目するのではなく、類似性に着目するような接触。偏見の解消というと、この「違い」に注目して、「違い」を理解してもらおうと、講義や説明・解説をすることが多かったのです。アルコール依存症と一般市民との「違い」に着目するのではなく、アルコール依存症前後、すなわち発症以前の「生い立ち・価値観・人生観」、発症後の回復過程における「価値観・人生観」に着目します。これらは、一般市民との共通点が多くあり、共感を得られるものです。これらを入り口としてもらうと、アルコール依存症を理解しやすいと考えられます。

「アルコール依存症」の説明ではなく「アルコール依存症の人間物語」にせよ

偏見は、心理・感情の問題が大きなウエートを占めています。知識・論理だけで押していくことでは、大きな効果は期待できません。したがって、アルコール依存症の理解は「アルコール依存症の人間物語」として語り、心理・感情に訴えることが必須です。人間物語でしたら、共通点があります。アルコール依存症の人間と同じ様な心理・感情を持っていることが、感じ取れば無用な不安・恐怖心はなくなっていきます。

「共通性」「人間物語」・体験談

一般市民との共通性・かつ人間物語となればやはり「体験談」です。偏見解消の目的で語る「体験談」です。断酒会で語っている「体験談」と違いがあるのでしょうか。真実とその時の真情を語る、ということに変わりはありません。ただ、一般市民との「共通性」を意識した体験談、時間内で語るのならば、「共通性」を優先した体験談になろうかと考えます。

さて、具体的に「共通性」とはなんでしょうか。それは「生い立ち」、飲酒し始めた頃の「価値観」「人生観」、断酒会で回復していく過程でのいろいろな気付き、たとえば自己中心の価値観だった、とか柔軟性にかけた価値観であったとか、「おかげさま」ということを始めて実感したとか、そのようなことは、一般市民とまさに共通性があり、共感を与えるものと確信いたします。

マスコミの威力

テレビ・新聞・出版物が偏見を左右する要素は大きいと考えます。そのいい例として「うつ病」があります。一昔前は「うつ病」という存在すら、一般人は知らなかったわけです。また、なまじっか知っていても「怠け病」程度の認識しかありませんでした。

それが、最近の「うつ病」に対する国民の偏見・誤解というのは10年前から比べると格段に減少しているのではないかと考えます。その原因のひとつにマスコミが挙げられます。有名人の体験談がテレビに、体験記が出版物に、というぐあいに結構ブームの模様でありました。あの有名な人が「うつ病」に!誰がなってもおかしくない、と多くの人が思ったことでしょう。うつ病に親近感を持ったのではないでしょうか。

このようにマスコミの威力はたいしたものです。偏見解消にはマスコミの威力をかりる必要は大いにあります。

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